東京五輪ファッション談義

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★金、銀、銅のメタル入勝者の前を歩く不思議な恰好に戸惑った人が多い。表彰台に案内する役割の人のようだが、その人の服装が理解不能。
 どこかの国の民族服かと思ったがそうでもないらしい。アスリートらしくもない。スタイリストは何を考えていたのか未だにわからない。
★話題はドイツ女子体操チームに集まった。
 体操競技を性的対象として見て欲しくない、それ故わたくしたちは、今までのレオタードではなく全身を覆ったボディスーツを着ます。
 なずけて「ユニタード」といっていたが、早急に予選敗退だつたので多くの視線をあつめることが出来なかった。
 もっともプレスの間では、ユニタードの方が余程セクシーだったと皮肉な評判になっていたという。
★閉会式の時、各国国旗とともに入ってきた薄物の美女ならぬ魔女たち。
 シースルーのガウンをまとい、堂々と入場してきた。はて、このオバサンたちは何、という疑問がわいた。
 各国の国旗とともにはいってきたから、メダリストかなとも思ったがそうでもない。ボランティアのオバサンにしては、妙に晴れがましい。
 結局最後までよく判らなかったが、選手たちが入場してきた時に手をふったりしていたので、多分オモテナシのつもりのオバサン達なのだろう  
 と勝手に推理した。
★各国趣向を凝らしたアスリート達のユニフームにはそれぞれのお国柄や、ファションセンスが見られて楽しい。
 シンプルで清潔感優先の国、民族的モチーフを必ず入れる国、日本選手のユニフォームは可も無し不可も無し。ただ辟易したのはシンクロの祭                      のモチーフの野暮ったさだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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