石原慎太郎の号砲一発により、3万5千人が一斉に走り出す。如何にも慎太郎好みのイベントだ。
役者は変わって猪瀬某になったが、相変わらずメディアは都庁前の号砲一発しか伝えない。
名前こそ東京マラソン財団だが、実態は東京マラソン商店にほかならない。東京の街なかがマラソンに適しているかどうか、今更言うまでもない。汚れた大気のなかを三時間も四時間も金を払って走るのだから、もはや現代人の自虐趣味とも言えるとんでもないイベントなのだ。
沿道の商店はほとんどが、その日商売にならないと嘆いている。
さらに特設された600基のトイレがまったく役に立たない。ランナー35.000人、ボランティア10.000人沿道の観客1300.000万人、つまり1400.000万人のトイレが600台では、話にならない。
新宿大ガード下の放尿スポットを始め、沿道にある小公園や横路地は、その日放尿にまみれている。郊外の自然豊かなコースなら、それもまた良しとするが、大都会東京ではどうすることもできない。
一般市民からは参加者一人当たり一万円徴収する。メディアへの宣伝用にマスコミ企画枠が数十人分、スポンサー枠各社数十人、一流選手のためのエリート枠100人、さらに10万円以上の寄付で走ることの出来るチャリティ枠3.000人、こうして考えてみると、このマラソン屋稼業実に効率のいいビジネスだということがわかる。
慎太郎はかって湾岸のカジノ化を提案したことがあるが、あの時もラスベガス最大のカジノ、ウィンに繋がるカジノ器械のメーカーが、裏で糸を引いていたという噂が流れた。
綺麗事の東京オリンピックを叫ぶ前に、政治屋と利権屋、それに代理店の絡んだ不健康なスポーツ・イベントから、もうそろそろ卒業しても、いいのではないだろうか。
東京マラソン屋
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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