台風の前触れか、雨風の鬱陶しい中を佐久の南の果て、長者原にいってきた。
すぐ西へ下りると、岩下の集落がある。ここは春分の日に岩下の踊り念仏という芸能が伝承され、一遍上人が跡部で啓示をうけ、踊り念仏を始めた歌舞伎の聖地でもある。
戦後、満蒙開拓団の人々がこの山中に入植し、艱難辛苦の末、田畑の開墾にこぎつけたという戦争の負の遺産を背負った集落だ。
途中まで友人が迎えに来てくれたが、走れども走れども目的地につかない。路はだんだん細くなり、やがてほとんど、けもの道に近くなった辺りで、クルマは止まった。
山にそって金属の梯子がかけてあり、その先にグレーの瀟洒な家がみえた。今日は雨で梯子が危ないから、裏に回るのでこの車に乗れと赤い四駆に乗り換えさせられた。御好意は大変に有難いが、なんとなく老人扱いされたようで悲しくもあった。
回り道はクルマのタイヤよりも狭く、その上雨のお蔭ですつかり泥状になっている。そこをちいさな四駆はガンガン走る。途中ギャーをかんでレバーが悲鳴を上げる。畑に墜ちるか、川に転落するか、の恐怖に怯え乍ら、新居に到着した。
そこには素晴らしい花の庭が広がっていた。女主人公の愛するイングリッシュ・ガーデンが、長者原の不愛想な高原の森に忽然とすがたを現した。雨なので、と申し訳なさそうにいうが、霧のたつ雨中の庭で、花たちは自由に幸せそうに咲き誇っていた。
花と大地に寄り添う彼女と、キャンパスに向き合う彼は、東京を棄て、この長者原で新しい二人の世界を造っていた。 だされた田舎のおはぎで頬が落ちそうになった。 再訪したくても道の見えない天国だつた。
東京を棄てたふたり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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