にほんの民俗芸能「来訪神」がこのほどユネスコに登録された。
目出度い!嬉しい!で新聞は騒いでいるが、よく読むと現地では後継者不足でなやんでいると、百姓、漁民、匠の悩みとまったく同じ書き方、頭の悪さにあきれる。
戦後こうした芸能の最大の危機があった。政府が「無形文化財指定」という権威をあたえた時だ。旗印をえた芸能は本質を失って一様に形式化の道をたどった。指定を受けなかった芸能はいっきに消滅の道をたどった。
今回のユネスコ登録でも恐らく多くの習俗は信仰からイベントへの道をたどることになる。JTBもHISもキンツリも、これこそ絶好の商売のネタとばかりにユネスコ来訪神ツアーを売り出すことだろう。原始信仰が商業主義に荒らされる。
風景とグルメしかなかった旅行の題目として、来訪神はなかなかの素材なのだ。
全国にとっちらかっているユルキャラと同じような扱いで、飯島のトシドン、能登のアマメハギ、悪石島のボゼ、宮古島のバーントン、貝島のカセドリがチラシに掲載され、仮装もできます、仮面の体験もできます、とただの観光ツアーに成り下がった来訪神の末路が眼に浮かぶ。
来年からはユネスコ登録無形文化財のノボリを従えて、観光客の都合のいい時間に上演されるようになるかもしれない。
民俗芸能についての教育が欠落しているなかで育った子供、青年たちにとって、来訪神はただのコスプレにうつってしまうのが残念なこと。なぜ辺境の地にこうした来訪神の習俗があるのか、なぜ季節の変わり目や年の瀬に来訪神はあらわれるのか、信仰の原始的形態についてすこしでも学んでほしい。
来訪神の観光化だけはぜったいに避けねばならない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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