村山由佳という生き方

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 厳格な母とキリスト教女子教育のキャンパスで育った才媛がはじけた時、こうなりますといつた見本のような女性が、軽井沢に移住してきた。
 いま「花酔い」で話題の村山由佳さんだ。「確かに身近に自然がないと生きていけないんですが、かといってベジタリアンではなく、バリバリの肉食系です。節操がないなって思います。欲しいと思ったら、手に入れるまであきらめない。それが家であれ、モノであれ、男性であれ、本当に我慢がないんです。」
 「ほかの男とした?俺のかたちじゃなくなっている」帯ミシュランで星二つ半をもらった「ダブル・ファンタジー」のコピーは、うちの旦那がいったこと、といさぎいい。
 鴨川で理想の田舎暮らしをしていた時、こんな癒された時を送っていたら女として涸れていくだけ、愛の深淵を極めなければと、パソコンと猫一匹をかかえて家出した。
 もう、後戻り出来ない!その印に刺青をいれたという。左の足首に龍、右の乳房に鳳凰、あと男にしか見せない部分にもう一つ。大人の性愛や官能を等身大でかくのはすごく勇気がいるし、まわりにも迷惑がかかることだけれど、目指す作家像、文学的テーマをまえに迷いはない。
 彼女は「後ろ指さされる作家」をめざす。「こんな女があんなことを…」人をゆさぶらなきや書いてる意味がない、と実にダイナミックで率直だ。
 「もう駄目。この男を失いたくない。他では換えがきかない。恋ではない、愛では尚更ない、ただもっと不純で、もっと純粋な、何か…鏡には、決して、映らない、何か。」うれしいことは勿論、つらいことも恥ずかしいこともすべて糧になる。そこがこの仕事のしんどさであり、ずるさでもあるという村山由佳さん、花に酔った次は、はてなにに酔うのか興味は尽きない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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