朴大統領妹の勇気ある発言

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朴大統領妹の勇気のある発言
 ヒステリー症状かとも思える韓国の朴大統領の反日発言に、韓国人の恨みの深さを感じると共に、少しばかりもてあましていた。時に女のヒステリーだからと、呟いて得心していたこともある。
 ヨン様を軸にした韓流ブームは何だったのだろう。思慮浅い日本女性の恥ずかしい行為だったのだろうか。テレビには堂々と韓流ドラマがはびこり、日本のお茶の間を随分と洗脳したようにも思うが、そのあとの世界的に広がった従軍慰安婦像のおかげですっかり韓国大好きオバサン達のミーハー心も醒めてしまった。
 戦争に伴う兵士たちの性の問題は、今に始まったことではない。十字軍の昔からヴェトナム戦争の戦後までつねにあったのは、兵士たちの性処理の問題だった。第二次世界大戦後のアメリカ占領軍の要求によって、大森海岸近くに米兵たちのために、特殊慰安所が作られたこともあった。そうした人間の業ともいえる恥部にはお互いに非難することなく粛々と処理してきたのが、大人の対応であった。
 そこに登場してきたのが、韓国反日ロビーだ。お蔭さまで新大久保の韓流商店街は、うたかたの夢となりすっかり寂れてしまった。そうした韓国街があったことすら忘れている日本人がいる。
 そんなに反日ならば、無理して韓国に友情をもつ必要もないだろう。お蔭で韓流ドラマの牙城だったフジテレビも凋落し、かっての「面白くなければテレビじゃない」は「なにをやつても見てくれないテレビ」に変わった。
 こうした状況にいたたまれなくなつたのが、大統領の妹 パク・クンリョン氏だ。
 「日本はいままでに、天皇を含め4度も正式に謝罪している。いつまでもくどくどと謝罪を要求するのは、国益を損なう。慰安婦の問題も韓国政府が処理すべきだ。靖国問題も内政干渉だ。もし私の友人が、かって父を暗殺した人の墓参りをしても私は何も言えない。」
 いま韓国では、右翼の人たちを中心にパク・クンリョン氏への共感が広がりつつある。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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