北のサッポロ、南のハカタ、という言い方がある。いずれもB級グルメの開拓者しいう意味だ。
千歳空港に降り立てば、まずラーメン道場が眼に入る。札幌ラーメンの看板を始めてみたのは、ニューヨークの43丁目あたり、懐かしさいっぱいで何度か通ったが、味は雑味ラーメンそのものだった。
その後、三平ラーメンの伝説がメディアに登場、憧れのサッポロはジンギスカンからラーメンに移った。
空港のラーメン道場には、今話題のラーメンが9軒集まっている。早速に札幌第一歩の食は今様ラーメンにとなった。江別から2,3年前に札幌に出てきた「銀波露」、風味にこだわる新時代の個性派拉麺とある。胡麻と揚げニンニクで仕上げたパイクウ麺は、独特の香ばしさで記憶に残る確かな一杯、ラーメンも随分と進化したと満足。
その夜はすすきの「うたり」へ。真ん中の大きな囲炉裏を囲んで三方にカウンター、天井も壁も囲炉裏もすっかり燻されて店中に昔が溢れている。記憶の片隅にあるかっての蝦夷御殿もこんなだった。ルイベはなかったが、焼き物から焼きにぎりまで、北の美味に酔った。
鈴木夫人の財布に甘えた鍋の会では、駆けつけた新婚ほやほやの春木夫妻、角野広海君、抜群の津軽乙女・永谷かのこさんと鈴木先生のウイットに富んだ めおと漫才に、料理の味が行方不明となった。
小樽では寿司屋通りから横丁に入った「宝寿司」、味は無論のことモダンなインテリアはなかなか。
最後の仕上げは、再びのラーメンと、丸山公園の「寅乃虎(とらのこ)」へ。一の虎のこくうまを避け、二の虎のさらうまをいただいた。店内にはスパイシーな香りが立ち込め、プリシコの森住麺に炙ったチャーシューとメンマがからんだ、すっきりした辛みとうま味の不思議拉麺だった。ラーメンとスープカリーの合体だが、札幌のラーメンは確実に次のステージへ進化しているという印象をもった。
今回の札幌行で四日間、ベンツでナビゲートしてくれた米山美佳さんに心からの御礼を。
札幌ラーメンの明日を食べる
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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