イラストレーターのお世話になって60年あまり、あの頃のパリにはペイネのハートが溢れていた。シャンゼリゼーの広告塔にも、トイレの悪戯書きも、映画館の緞帳にもペイネがあった。
インテリ層はシネの風刺画を支持していた。カフェに置かれた絵葉書スタンドには、ドアノウの愛のタブロウとともに、シネの猫がたくさんいた。猫は芸者になったり、ホモになったりしていた。
帰国後、テレビでは若き日の天才、山藤章二さんの世話になった。寺山修司の「涙のびんずめ」では、大家の手前の横尾忠則にグラフィックをゆだねた。耽美派の宇野亜喜良にきものポスターを書いて貰った時には、この絵には薬の匂いがする、と言われ言い訳に苦労した。丹精な優しさを描く林静一、ダイナミックなエロティシズムの大西洋介、メタリックなヌードに埋もれていた空山基、ピアの表紙を描き続けてきた及川正道さんと、時代をリードしてきた超一流の才能に惚れて仕事を依頼してきたが、軽井沢のほんでは東加奈さんの素朴なタツチに助けられた。
写真以上に好きなのはイラストだが、近頃のマンガブームにはいささか戸惑う。下品な絵が多すぎるのだ。本屋の店頭には、ジャケ買いする読者のためにヒラ積みされた本が並んでいるが、表紙のイラスト化はひどくなる一方だとか。
岸田メルによる美髪少女のイラストにカバーされた精神分析入門など絵に気をとられていたらまずフロイトに辿りつけない。売れっ子中村祐介による謎解きはディナーのあとでも、イラストに主役が移っている。若い人はネットで本を買うために、表紙のイラストによるキャッチが最重要だといわれている。
本の中身はともかく、ネットで目立つことに編集者は苦心している。
本の売れる表紙
コメント
1件のフィードバック
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イラストカバーは、いわゆる、もしドラの2匹目のドジョウを狙っている感が否めません。多分、あの本が実力とは関係なしに、タイミングとラッキーが重なって売れた事実が、表紙競争の発端になったと考えています。
装丁と言う分野が改めて注目された次が、イラストというのは何故かが違う気がします。印刷産業を衰退させないためにも更なる工夫を期待しています。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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