朝9時から夕方5時までの手旗信号

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朝9時から夕方5時までの手旗信号
 民族服を着ることを義務化した世界でも珍しい国、それがブータンだ。
 ところが最近のグローバル化の波により、幸福の国の事情もだいぶ変わってきた。若者たちは、みなスマホの虜になっている、民族服も近頃のストリート・ファッションの影響を受け、開国の反動は大きいと識者は嘆いている。
 留学生がトランク一杯にして故郷に帰ってくると、とたんにあちこちにユニクロが溢れる。女性用のキラと呼ばれる民族服も、本来総丈のものがウェストやら腰までとなり、そのしたはタイツやらジーパンにかわってきたようだ。男性用のゴもスェットやらジャンバーに取って代わられ、ユニクロが猛威をふるっている。
 かってホテルといえば、王様の別荘しかなかったのが、欧米の外資や中国系の資本により多くのホテルが作られ、河原の飛行場には6機の航空機が待機している。
 25年前インドのダージリンから陸路ずたいに入国したときは、国内にトヨタのマイクロバスが一台しかなく、環境局のお役人が国境まで迎いに来てくれて、やっと入国したのが夢のようである。
 首都ティンプーの大通りを走っているのは、韓国製のクルマが圧倒的に多く、抜け目ない日本の商社もブータンを見落としていたのかと、ちょっぴり残念なことだ。
 ノールジンランの交差点には相変わらずひとりのお巡りさんが手旗で交通整理をしていて、朝9時から夕方5時までの間だけというのどかさはなんとか保っている。
 国民総幸福量というアナログな概念で注目された秘境の王国ブータンにも、グローバル化の弊害は大きく、いま国内最大の悩みは若者たちの薬物乱用だという。
 ネットで何でも買えるという西側のシステムが、精神の豊かさを奪いつつある。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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