朝日新聞のハルマゲドン

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朝日新聞のハルマゲドン
 朝日出身のテレビ・コメンテーターには共通のニオイがある。
朝日新聞の良き時代に記者をしていたために、そのくせが抜けない。どんなにつまらない些少な記事に対するコメントも上から目線の口調になる。どこか紙の優越感にひたった昔の人間の傲慢さがにぢみでるのだ。
 従軍慰安婦の誤報記事以来すっかり失った信用に対する認識が甘く、贖罪の意識を感じない。社内の一部の誰かがやらかしたことで、自分には関係ないとでも思っているのだろうか。
 いくらもっともらしい発言をしたところで、朝日全体への信用を失っているのだから、本は売れないし、視聴率も上がらない。そうした現実への体感が薄いという点で見事なのだ。
 慰安婦問題の影響は大きく、一時は800万部以上を数えた発行部数は600万部を伺うところまで落ち込み、いまだ減少傾向は止まらないと、幹部は嘆いている。
 広告収入も落ちているが、一定のニーズはある。紙だけでなく、雑誌やデジタルももっているし、イヘントを作る力もある。と言いながら7月に実施した希望退職は肩たたきではなく、転職支援だと強弁している。
 そんな朝日の危機をまともに被っているのが、全国に散在するASAと称する朝日新聞販売店だ。
 世界に誇る戸別配達制度のおかげで、なんとか持ちこたえているが、新聞販売店にとって貴重な収入源だった
折り込み広告の売上高が激減している。発行部数減による媒体力の低下、スーパーなど流通業界の出稿停止、デジタル・メディアの拡大が原因だが、いままでの販売奨励金、補助金で支えられてきた本社と販売店のウィン・ウィンの関係が保てなくなってしまつた。信用を失うという事は総てを失うことに通じるのだ。
 これに対し本社は、他系列の新聞も扱え、牛乳配達や電球交換の御用聞きもしろ、と発破をかけ、本社は
不動産業にまっしぐらに進んでいる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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