朝がゆこそ日本の朝めし。

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 学生時代の夢は彼女の作ってくれる朝食だつた。一枚のフレンチ・トーストとフルーツサラダ、そしてダージリンの紅茶…生まれ育った環境が、干物、納豆、味噌汁の和食だつたせいか、青春の朝食アイコンは洋食だつた。
 舞台の演出に振り回されていたときは、朝食抜きが当たり前、ゲネプロ、舞台稽古は早かったし、劇場に入ってしまえば、夜まで食事の時間はなかった。たまに心優しい女優が、そつと差し入れてくれたおにぎりのバスケットがシアワセの朝食だった。
 ムーラン・ルージュで仕事をしていた時、となりのシラノ・ド・ベルジュラツクのシェフから、フランス式卵料理のこつを習った。手前味噌ながら以来モーニング・エッグの評判は上々。
 テレビにかかわり、青山に住むようになってパンの美味しさに目覚めた。紀伊国屋まで徒歩5分という住まいのお陰で、イギリス・パンやピタパンの美味さに気がついた。クロアッサンだけはル・コントのアーモンド・クロアッサンが好きだったが、いまはない。日本のバターでは美味いクロアッサンはできない。
 仕事の付き合いはどうしても夜の食事がメインになるが、飲めないのでもつぱら昼の食事、たまに朝かゆでミーティングなどもあった。
 事務所のスタッフとの交歓会も朝めし会だった。朝のホテルは宴会もないので、サービスしてくれる。3000円もだせば、ホテル最高の朝食がでた。朝飯会は永田町の政治家にとっては当たり前かもしれないが、六本木のカタカナ・ビジネスには珍しく、スタッフも服装をととのえ、気分一新で効果があったような気がしている。
 いまでは京都南禅寺の瓢亭の朝がゆが最高である。 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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