ちょっと売れてきた民放の女子アナは、いつフリーになって稼ごうか、と思っている。がしかし、フリーになったからといって稼げるというのもそう簡単なことではない。
最近の例からみても、成功したのはNHKの「有働由美子」ぐらいしかいない。
何故有働由美子が成功したかといえば、実力が伴っていたからだ。有働のアナウンス技術、人間的魅力、頭脳レベル、どれをとっても有働由美子は水準以上なのだ。
その上マネージャーにもめぐまれた。マツコと出会って引っ張られたのも、幸運だった。マツコのような特異なキャラクターでも、手のひらで上手にマネージメントしてくれる、だから家にいらっしゃい、という、マツコの殺し文句が、有働にはぴったりときた。
失敗例はテレビ朝日の「小川彩佳」だ。
TBSが鳴り物入りで売り出したが、残念なことに中味が伴わない。語り口はとくにどうというほどのものではない。表情や柄もどちらかといえば地味なほう。ピカピカとした魅力もないし、女としての魅力にも欠ける。思想もなければ、生命力もない。
TBSの幹部がそんなことも見抜けなかったのは、プロデューサーの眼が節穴だったからだろう。
小川彩佳は取巻きにもめぐまれなかった。小宮悦子、夏目三久、田中みな実と仲良しではどうにもならない。みないずれもがオシャベリだけのトーク・マシン、ひと時代前の女子アナばかりだ。
尊敬するのが田原総一朗と古館伊知郎では、にっちもさっちもいかない。田原は化石になったテレビ左翼だし、古館はしゃべるだけの中味無し、勘違いアナの代表である。二人からの影響では、もはや一線での仕事はできない。
本物の「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」でしかない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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