いい歳をして悩みは字の下手なことだ。もう何十年も書いているのに、一向に字が安定しない。ある時はカナクギ流、またある時はデザイン文字、著書にサインを求められたり、芳名簿にサインをするのに筆を出されるたびごとに冷や汗をかいてきた。
一念発起、アラホーの川野明子先生にご指導をねがった。先生は勤勉を絵にかいたような人で、自宅で書道を教え、ペン字を教え、少女と少年を育て、その上いくつかの教会のブライダル・セレモニーの司会をこなす。さらにおどろくべきは空いた時間にレストラン・フロアのアテンドをしている。気まぐれな当方のお願いに嫌な顔ひとつせず教えにきてくださった。
がはなはだ持久力のない弟子はひととおりの筆運びなど学び、道具を揃え名前の書き方などならったあたりで停滞している。
爾来、なにげなくスルーしていた書道コンクールの頁などが気になりだした。「生きる力」「思いやり」「植林」「美しい心」「希望」など由緒正しい書に大臣賞だの新聞社賞などの賛があり、それぞれに立派なのだが、いまひとつ訴えてこない。書く技術だけが際立って心が見えない。
そんな時、紙の産地四国中央市主催の「書道パフォーマンス甲子園」の映像がとびこんできた。高校生12名による4×6mの紙上でのグループ・パフォーマンス、「陽はまた昇り、花は咲く」「ふるさとはそこにある」「己のちからで切りひらけ」そこにある女子高生たちの書は生きていた。テレビで百万回繰り返される「きずな」が色あせて感じた。手垢のついていない若い新鮮な叫びがたくましい筆からほとばしっている。
かつて魯山人は京都の一字書き展に、毎年応募して生活費をかせいでいたといわれているが、恐らくあのころの一字書きには命がやどつていたのではなかろうか。無味乾燥のパソコン文字と向かい合いながら、苦手な墨痕に思いをはせている。
書道コンと書道甲子園の谷間。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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