暴走老人の犯罪に対して、この国の人々はあまりにも寛大すぎるような気がする。
まず第一の犯罪は「新銀行東京」、ほかの銀行が逆立ちしてもできないことをやると、称して東京都が一千億を出資して始めた銀行ビジネス、あっという間に議員、ブローカー等の介在を許し、事件屋や暴力団の食い物になった。600件の融資案件に口利きをした人々の実名には、現職都議、元都議、衆参議員、秘書、都職員がなんと130名も記されていた。結果三年間で一千億の赤字をかかえ、事実上の破綻状態、致し方なくさらに400億の公的資金を投入、何時つぶれても当たり前の状況になっている。
第二の犯罪は「築地市場移転問題」、予定地の豊洲からは、環境基準の四万三千倍のベンゼン、地下水からは一万倍のベンゼン、発ガン物質のベンゾ、ビレンなど通常の二十倍の汚染物質が次々に見付かっている。当然のごとくに築地市場の全員が猛反対をしたが、暴走知事は粛々と移転は問題なしと進めた。東日本震災後、予定地はあちこちで液状化を起こし担当者はただ天を仰いでため息をついているという。
第三の犯罪は、東京オリンピック招致、ブラジル・リオディジャネイロに敗れた16年の五輪で150億がドブに捨てられ、200億を突破したその予算使途は伏魔殿になっいる。長野五輪と同じく使途不明金がぞろぞろと見付かり、後を受けた新知事がどのように取り繕うか、その辺が見所でもある。
さらに東京メトロ九路線と都営地下鉄四路線の一元化問題も頓挫をきたし、中途半端のままになっている。
だが暴走老人最大の罪は、なんといっても「尖閣諸島購入問題」だ。時の野田政権はなんの覚悟のないままに、老人の恫喝に屈し国有化し、中国との緊張を招いてしまった。この問題が軟着陸して解決すればともかくこのままの対立が続くと、日中戦争という最悪の事態も招きかねない。
懲りない無責任な暴走老人は「日本も早く核をもたねば」と声を上げている。
暴走老人に罰を与えよ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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