予定どうりロシア民間軍事会社ワグネルのボス「プリゴジン氏」が粛清された。
いったん刃をむけたプリゴジン氏をプーチンが許す筈がない。
ロシア秘密警察のボスを経て大統領に成り上がったプーチンは、中国の習近平と同じく左翼帝国主義者として、ごりごりの暴力信奉者でもある。
どうした訳か、右翼より左翼のほうが暴力を信奉している。
右翼は政敵を抹殺することはないが、左翼はとことん追い詰めた果てに、暗殺するという物騒な体質をもっている。
全学連赤軍派の赤城山中粛清事件などにしても、理論闘争だったものがいつの間にか権力闘争となり、最後は暴力殺戮闘争になる。なんとも恐ろしく物騒なのが左翼の権力体質である。
中国の習近平政権も全く同じ。彼が政権を握って以来どれだけ多くの政敵が粛清されたことか。ある者は行方知れず、ある者は自宅拘束、外界とは一切の交渉を断たれ生存の可否すら判らないという残酷な状況である。
残酷なウクライナ戦争のお先棒をかつがされ、いわれなき戦争の正面でブーチンの悪逆非道の代役をつとめ、結局戦争犯罪の全責任を負わされたワグネルは、弾薬もつき、糧道を断たれるまで働いてプーチンにたいする反乱をおこした。ショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長の解任を要求したが、ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介で鉾を収め、反乱を中止した。
プーチンは反乱の罪は問わないと甘言を弄した。その時、世界はプリゴジンのお人好しに驚き、プーチンの次の一手に注目していた。
その時から世界はプリゴジンの生命は終わったとみていたが、案の定秘密警察お得意の手法で自家用機もろとも抹殺し、ワグネルは国防省の管轄部隊となり、サンクトペテルブルグのワグネル本部ビルは接収された。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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