この暑さは何だろう。戦後間もなくから夏の軽井沢に来ていたが、入道雲が立って、汗を拭う夏は7月の4週から、8月の2週、土用波の聞こえる頃にはもう秋風がたち、旧道のお諏訪さまの花火で軽井沢の夏は終わった。「また来年の夏にお会いしましょう」挨拶をかわしてそれぞれの都会に帰って行った。あのころの夏に比べると10倍暑くなったといっても嘘ではない。町中どこをさがしてもクーラーなどというものはなかった。ウチワと扇風機があれば充分だつたし、旧道のだんごやチモトの氷あずきが夏の醍醐味だった。
京都のように昔から暑い夏がきまりであれば、それなりの工夫をする。鴨川の納涼床でガラスの器に盛られた料理を、芸妓さんのうちわから送られるハンナリとした風とともに箸を進める。夜の東山から静かに冷気が降りてくる。貴船へ行けば、岩をはじいて流れ落ちる奔流のうえに川床をつくり、酒とハモを楽しむ。祇園町からも芸妓さんがきて、歌舞に興じる。仲居さんの藍の浴衣姿も涼しくさっぱりとした気分をかもして川床に映えていた。夏を楽しむ冷たさと季節の料理とすこしばかりのお色気が、バランスよく提供されてこれが日本の夏、日本のおもてなしと納得する。暑さが文化を育てている。
八月の軽井沢、あちこちでイベントなどしかけられているが、どれをとっても軽井沢らしい、軽井沢にしかない、といった視点が欠けている。隣町のアイディアをそのまま盗用したり、大都会でこそ成立する中身を追っかける。すべて宣伝だけが先行して、足元をみていない。だから田舎なのに、田舎がない。観光協会のキャッチだけが、「美しい村」なのだ。等身大とよくいわれるが、空念仏におわり、ほんとうの等身大とはなにか、を考えていない。だから不意に激暑に襲われると右往左往して、みんなくたびれる。大都会の落武者がきて、ただ騒がしい話題に追われ、文化のインフラはいっこうに育たない。
暑い!とにかく暑い!
コメント
1件のフィードバック
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軽井沢でも暑さが厳しいようですね。何でも度を越すとおかしくなりますね。本来の夏の情緒や風物詩が消えうせて、右往左往するのが人間です。軽井沢には、クマやおサルさんは出没しませんか?東京では暑さのためか、おサルが走り回っていますよ!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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