時代は年の差婚へ。

by

in

 このところ「年の差婚」の話題がしきりに飛び込んでくる。
 二月にはショーケンこと萩原健一とアラフォーの熟女富田リカの結婚が報じられた。いしだあゆみとの事実婚では、彼女の激痩せぶりに二人でクスリをやつているのでは、と疑われ、倍賞美津子との同棲では取材記者を拉致暴行し、次のヘアメイクさんにはDVで離婚訴訟を起こされたショーケンである。棄てる神あれば拾う神ありといったところか。
 六月には45才年下のこれまたモデルにして社長秘書23才の綾菜さんと加藤茶が入籍した。アイドル小山ルミを棄て、銀座のママを麻生総理と張り合い、18才年下の鈴子さんと結婚3人の子供をもうけた。が病気は治らずV6の森田剛の女に騙され、鈴子さんとは離婚、そして今回の年の差婚。
 八月にはマチャアキこと堺正章が22才年下のもとモデルと3度目の結婚をした。例の西麻布のバルビゾン・ビルを所有している伊藤良三のブルーポイントが恋の舞台だったといわれている。
 すねに傷持つ芸能人だけにとどまらず元TBSの山本アナも孫ほどの女性と再婚した。
 慶応の林教授が40年程前、「人生二回結婚説」を唱えたことがある。二十歳代の女子の結婚相手を中年以上にし、安定した経済力と見識のもと人生を楽しむ。そして自分が熟年に達したとき、若い男性と再婚して、円熟した暮らしと残された財力で若い男を楽しみ育てる、というのだ。そうすることによって男性も女性もともにワクワクドキドキと充実した人生をおくることができる。という説だった。キリスト教的倫理観にはもとるが、誰が考えてもこの方が幸せな筈だという論陣をはっていた。当時はまだ禁欲的な人生観が支配的だったので、世間に広く取り上げられることはなかったが、いまようやく年の差婚の市民権獲得とともに、陽の当たる場所へ登場してきた結婚観といえよう。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ