事故死・孤独死・変死・病死…あらゆるひとり死のタイトルが打たれた飯島愛の死だった。「芸の能力のある人がいるから芸能界なんで、あたしはなんの能力もないから芸能界にいちゃいけないんだよね」過ぐる時、彼女がポツンとつぶやいた言葉だ。
普通の女の子がある時芸能界にあこがれてAVに身を投じた。何も出来ない彼女はセックスを見せることしか方法が見当たらなかったのだろう。いちはやくオバカな行為と気がつき、折から登場したTバックを穿いてテレビに登場した。下品なテレビの制作者たちは、彼女のお人好しに乗じ、客寄せの目玉に彼女のお尻を利用した。気働きの彼女は空気を察し自分のポジションを理解してテレビの玩具となった。スケジュールも順調に埋まり忙しかった彼女が、無理矢理引退を宣言した時、皆一様に耳を疑った。スポンサーに不義理をして止めてしまうこと等、それまでの彼女からは想像できないことだった。楽屋雀はエイズを疑った。そして今度は投資会社からの資金でコンドームの通販をやるという。そして投資会社は金融大不況とともに消え去り、彼女は孤独死したのだった。
時代と寝た飯島愛
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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