時代おくれが忙しい

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 時代おくれ だからといって決してあなどれない商売がある、と雑誌の特集にあった。
 まず一番が「カセット・テープ」、日本舞踊のお師匠さんは、いまでもラジカセで、長唄やら小唄をかけて教えている先生が結構多い。祇園の女紅場でも、芸妓さん舞妓さんはみんな小さなカセットテープ・レコーダーを稽古場の隅において回している。館に帰って復習するとき、お師匠さんの怒声がそのまま聴こえてくるというのははなはだ臨場感があっていい。テープの音が少しばかり伸びても全く気にしないところがおおらかだ。 古いレコード店の店先で、ひとやまいくらといった感じで売られている歌謡曲のカセツトなども、老人会の集まりでは人気ものだという。あるいはカラオケ用の10分テープ、収録用の60分テープも、いまだに滅びることなく生産されている。
 第二に「ゴエモン風呂」、昔の五右衛門風呂はほとんどがプラスチック風呂にとって変わられたが、バブル崩壊以後の露天風呂人気にのって、ゴエモン風呂に火がついた。なによりもこの鉄のお風呂は保温性大でさめにくいという長所がある。近頃ではニューデザインのゴエモン風呂まであって、若いカップルになかなかのモテヨウだといわれている。
 そして第三は「ミラーボール」、銀座のクラブから場末のキャバレーまで、必ず廻っていたミラーボールを見なくなって久しい。ミラーボールはつかの間の夢をみせてくれた。今再びのディスコ・ブームでミラーボールが息を吹き返している。でも最大の需要は、あちこちに出来た葬祭ホール。亡骸を天国に送るとき、横長の大きなミラーボールが祭壇のうしろから幻想的に投影される。会葬者一同、故人はシアワセだったと涙ぐむという仕掛けだそうだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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