春告魚の札幌

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 「春告魚(はるつげうお)」とは、ニシンのことである。
 安曇野の白鳥たちが北帰行を始めた頃、ニシンの群が北海道にやってくる。
 学生時代、春の足音がきこえる冬の終り、いつも北海道に行きたくなった。
 夏の北海道は道内あちこちに行くのだが、冬は札幌で充分だった。
 札幌にはあの頃「にしん御殿」という郷土料理やがあった。
 大きな囲炉裏を囲んで12.3人程が座れるカウンターがあり、北海道の冬の幸が豪華に並ぶ。
 シャケは逆さに天井につるされていた。カニは囲炉裏の横につまれ、とれたてのニシンは大きな笊の竹の葉によこたわわっていた。
 アイヌ模様の羽織は壁でいぶされ、ニシンが港を埋め尽くした昔の写真が鋲止めされていた。写真は昭和か大正かといったところであった。
やきにしん.jpg
 札幌につくと先ず目指したのは、「にしん御殿」だった。
 カウンターに座ると、まずニシンのなめろうが小鉢にはいってでてきた。
 その後はシャケのルイベである。凍ったままの薄切りのルイベは、他では味わえないシャリシャリとした食感が嬉しかった。
 そしていよいよ子持ちニシンの塩焼きとなる。店内にながれている大漁歌を聴きながらのニシンの塩焼きは至福の料理だった。
 塗のところどころはげ落ちた素朴な椀も妙に心やすらいだ。
 その後は元祖らーめん横丁で、札幌の春は終わった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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