花粉の季節がくると、何故か「かき揚げ」が食べたくなる。
銀座八丁目新橋を渡った左側に江戸風な天ぷら屋があった。天保の頃から続いた「橋善」である。
橋善のかき揚げはとにかく大きく、丼から見事にはみ出し、見事に積みあがった巨大なかき揚げだった。学生時代の空腹にとって最高のかき揚げ丼である。時移り橋本善吉も女性となり、「天ぷら橋善」は「橋善ビル」となって消滅した。
魚介も野菜もかき混ぜて揚げるから「かき揚げ」と認識しても、何十年も好きが続いている。
近藤で食べても、山の上でいただいても、やはり最後はかき揚げを頂かないと天ぷらを食べた気分にならない。〆は天茶でも天丼でもいい。
芝浦沖の芝海老に小柱を混ぜ、玉葱、人参、三つ葉など入ったかき揚げは、天ぷらの王将である。
最後の将軍徳川慶喜は立派な鍋島皿に、「大きなかき揚げ」を並べ天ぷらを楽しんでいたと伝えられている。
軽井沢には美味しい「天ぷら屋」がない。
あの背の高い立派なかき揚げを探しているが、見つからない。仕方なく蕎麦やにはないかと天ぷら蕎麦を注文するが、あの橋善のかき揚げには程遠い。一軒ぐらいあの「かき揚げ」にあやかった店があってもいいのにと思うが、時代はマクドナルドなのだ。
春になると「かき揚げ」が食べたくなる。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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