旧友の生前葬

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旧友の生前葬
 久しぶりの旧友にあった。
 B29の爆撃や、グラマンの空襲をくぐり、ともに学び、ともに生きてきた仲間だ。当時(中学時代)、彼は三つの志を立てたという。
 「山登りでてっぺんを目指すこと」「会社の社長になること」「本を書くこと」
 俺はこの志をすべて達したのでもう悔いはない。2年後に最後の絵画展をひらき、「生前葬」をやるので、友よ香典をもってこい、というのだ。
 1960年、彼は慶應義塾創立100周年記念ヒマルチュリ登山隊の一員として、ヒマラヤの未踏峰7864メートルの登頂をはたした。 …一生を償うに足る 一瞬が人生にある。 堀口大学の詩によせて、苦しい、うれしい、がいま山頂にたったと、彼は記している。
 時を同じくして筆者は、パリ・ムーランルージュで一年間に及ぶ「ラ・ルビュー・ジャポネーズ」の演出にたずさわっていた。彼はのちにエベレスト南西壁に挑み、日本山岳会の会長をつとめて、山登りの目的は達した。
 さて社長のほうだが、三越で辣腕をふるい、宣伝室長としてバブル期のベルサイユ大パーティやら、岡田三越の尖兵として働いた。奇しくも社長室でスポンサーと、ショー演出担当の立場で対面したこともあった。結局彼は中内ダイエーに引き抜かれ、オ・プランタン・ジャポンの社長となり、日本初の女性のためのトータル・ファッション・デパートを完成させた。さらに福岡ダイエイ・ホークスの社長をつとめ、中学時代第二の志は達成した。
 そして第三の志、本を書くは、いまここに「二人者」Die Beiden 田辺寿著 なる本がある。
 オスカール・エーリヒ・マイエルにインスパイアされ、山を愛した男と山に憧れることのなかった男、ふたりは互いに相手の生き方を蔑むべきではないという論考が主題になっている。
 いま彼の生前葬まで、命を全うしたいと思っている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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