とうとうというべきか、遂にというべきか、やっと日本学術会議の民営化が俎上にのった。
学術会議は60万人もいる日本中の大学教授もしくは学者たちの頂点に君臨してきた。
学術会議会員に選ばれた偉い先生は、お国から給料が払われ研究費という名の補助金も自由にコントロールできたので、選ばれた210人になるため、裏では結構な確執があったと伝えられる。
ところが戦後、学術会議は戦争目的のための研究は一切しない、と宣言し防衛庁の研究依頼はいっさい拒否してきた。兵器研究にかかわる電子工学や基本装備の研究も拒否、そうした学問分野の学者、研究者のほとんどは中国の大学や共産党科学院へ招かれて学術研究の成果を提供してきた。中国にとってこんな有難い学者はいない。安全保障のための軍事技術を敵対国からきて、提供してくれるのだから三顧の礼で迎えた。
この状況にのって中国に出かける学者にも呆れるが、こうした事実を知りながらほおっておいた政府にも責任はある。
菅内閣のとき、初めて6人の学者の学術会議会員の任命拒否をした。学術会議は朝日新聞などを通じて、学問の自由への政治介入だと騒いだが、結局テレビと赤旗が反対キャンペーンを張っただけで、世論は学者たちの虫の良い言い分にはくみしなかった。
学術会議の偉い先生方に日本を愛してる人はいない。
自分を愛している先生ばかりで、税金で面倒を見てもらいながら、敵に塩を送るとんでもない学者ばかり、民生用技術と軍事技術の差がなくなった今日でもあいかわらず軍事的安全保障には関わらないと世迷言をいっている。
中国共産党に言わされているのかもしれないが、こんな「日本学術会議」はいらない。国を愛する新たな「日本学術会議24」を立ち上げるべきである。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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