日本人・稲田朋美

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日本人・稲田朋美
 小池百合子、蓮舫、と取り上げてきたので、現政界のなかで右翼と目されている「稲田朋美」を取り上げなければならない。
 安倍さんのお気に入りとか、後継者とか色々にいわれているが、彼女は筋金入りの行動派日本主義者だ。テレビで有名になったお飾りの陣笠連とはまったく違う背景をもっている。
 早稲田大学の法学部をでて弁護士となった彼女は、自己のアイデンティティーを第二次世界大戦によって日本が背負った負の遺産の検証から始めた。
 小泉純一郎、安倍晋三が彼女を政界に誘ったのは、中国による南京「百人斬り競争」はでっち上げだ、という
彼女の講演を聞いたことが、きっかけだつた。
 また彼女の戦後史研究は、東京裁判の意義についても、東京裁判はポツタム宣言と近代法の大原則に違反した、二重の意味での国際法違反と主張している。
 その後の朝日新聞、朝日ジャーナル、毎日新聞、本田勝一を相手どった百人斬り競争を舞台にした訴訟についても原告側弁護人として論陣を張っている。
 予定調和のテレビ番組で顔を売り、名を売って来たタレント議員や女子アナとは全く違う存在の政治家であることが判る。
 アルゴ・ピクチャーズによる監督以下主要スタッフがすべて中国人だった「映画YASUKUNI」をいちはやく反日映画と喝破し、文化庁芸術文化振興会による750万の公的助成金を止めさせたのも彼女の働きがあってこその事件だった。
 「伝統と創造」を座右の銘とする彼女は、故郷鯖江の眼鏡産業のために常に眼鏡をかけ、網タイツも地場産業
アピールのために履いているという國士なのだ。桜井よしことともに女性思想家として、貴重な存在である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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