日本人が消えて中国人が主役。

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casinoとshow、それがベガスの二大テーマだ。だからcasinoは空港ロビーからショッピング・センターの片隅にまであって、この町にやってくる世界の富豪からアパッチ・タウンの伯父さん伯母さんまでごく当たり前に博打に親しんでいる。30年程前には、千葉の政治家がバカラで何千万摺ったとか、銀座の不動産王がマルハダカになったとか、日本のニワカ成金の噂話に花がさいていた。
 どこのカジノにもhigh limited room があって飛切りの博打好きや大富豪が集まっている。ホテルにとっては最高のお客さんなので、バニー・スタイルのお姉さんが、付きっきりでかゆいところまで面倒をみてくれる。大理石の大きな風呂がテラスにつながるスーパー・デラックスのお部屋代はタダ、レストランもバアもVIPカード一枚で総て無料、外出時はダックスフントのようなリムジンが使い放題、カジノで部屋代の何十倍も落としてくれるからホテルは充分採算がとれる。
 日本ではカジノのイメージがあまり良くない、楽しみで金銭を使うという風習がなく、丁か半か、の博徒にイメージが繋がる。バブル期には、シーザース・パレスが麻布に支社を造り、日本のハイローラーを送り込んだが、僅か3年で撤退してしまった。台北、香港、ジャカルタにはベガスの窓は残っている。
 そのハイローラーから日本人が消えていた。代わりにバカラで盛り上がっているのは中国人ばかり、ホテル側もチャイナ・ドレスのアテンドやら、中国料理に力をいれて本国から招請し、お客さんを満足させている。ダウンタウンの張り紙もほとんど英語と中国語、いっとき見られた日本語のビラは姿を消し、世界経済は見事にここベガスのカジノに反映していた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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