日本一の三連太鼓橋「鶴の舞橋」

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日本一の三連太鼓橋「鶴の舞橋」
 日本で一番美しい橋は何処だろう、ということになった。
 ネットでデータ好きの頁を開いてみると、概ねの意見は出揃っている。日本橋、宇治橋、そして錦帯橋、いや二重橋を忘れていないか。瀬戸大橋のほうがいいぞ、となにかと姦しい。
 そこでフォトジェニックな眼から検討してみた。
 青森県北津軽郡鶴田町にある「鶴の舞橋」にとどめを指した。
「鶴の舞橋」は日本最大の木造三連太鼓橋だ。全長300メートルの総ヒバ造り、橋脚には樹齢150年以上の
青森ヒバ700本を使い、現代的な橋梁技術ではなく、伝統的な造橋技術を使って作られた橋だ。
 橋の太鼓は錦帯橋の如く急ではなく、ゆったりとおおらかに造られている。鶴の里づくりを進めている鶴田町としては、つがいの鶴の飛翔する姿をモチーフにしているそうだ。
 お互いの片翼を重ねて仲良く湖面を舞っているようにも見え、端正な美しさは天空よりの使者にイメージが重なる。
 この国にしかない繊細な美しさに充ちた橋が、どこにも見当たらないのは何故なのか。
 橋を機能本位でとらえ、車がはしり人間が歩ければ、それで良しとする近代の機能第一主義が橋をつまらなくしている。
 観光地を自称する軽井沢に美しい橋はひとつもない。故郷と河のイメージを貧弱にしている。
 パリのセーヌ川にかかっている橋にはみなそれぞれに歴史を輪切りにしたデザインがあり、人間だけのための三本の橋には思想と哲学、それを受け止めるデザインが象徴化されている。
 宇治橋は源氏物語宇治十帖と結ばれ、紫式部のイメージとだぶる。
 「鶴の舞橋」もまたこの橋を渡ることで、長生きができるという信仰の橋になっている。
 橋を味気ない鉄とペンキの支配物にしてしまうのは、自然破壊の片棒をかついでいることなのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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