日劇にあふれた東京ブギのエネルギー

by

in , ,

 朝ドラの福来スズコを見ると悲しくなる。
 あまりにもあの笠置シヅ子と違う。
笠置しず子2.jpg 東京ヴギ.jpg
 笠置シヅ子が焼跡のなかの日劇に登場したとき、人々は彼女の率直で開放的なバイタリティに圧倒され、敗戦と貧困にあえでいた荒野に咲いた大きな希望に熱狂したのだ。それまで敵性音楽として禁止されてきたスイングの陽気な明るさとともに、登場してきたブギウギというエタイのしれないリズムに無条件に乗り、拍手を送り、有楽町の日劇を十重二重と取り囲んだ。
 オケボックスの服部良一もまた小ぶりの好々爺のごとき丸形のおじさんであり、ドラマにでてくる鼻筋の通った作曲家ではない。
 現実の笠置シヅ子と服部良一の魅力を無視した時代背景のないキャスティングが朝ドラの今なのだ。
 困っしゃくれた作り物めいたところが一切ない自然体で健康な個性こそが笠置シヅ子の魅力だった。
 朝ドラに登場する役者の神経質そうな如何にも作り物めいた演技には辟易とする。虚構のドラマとはいえ、NHKという権力的メディアによつてゆがんだイメージがつくられるのは残念としか言いようがない。
笠置しず子.jpg
 学生時代世話になつた先輩が、東京ブキウギに続く第二作の買物ブギ―を作詞した。
 先輩は当時進駐軍専用劇場としてアメリカからくるショウ、レビュウを上演する唯一の大劇場アーニーパイル劇場(現東京宝塚劇場)の支配人であり、後に電通からTBSの編成部長を務めた。その先輩のお蔭で日劇は毎週フリーパスで覗くことができた。
 灰田勝彦によるハワイアン・レビュウ、池真理子のラテン・ショウ、高峰秀子の銀座カンカン娘、そして笠置シズ子の東京ブギウギ、日劇春の踊り、日劇夏の踊り、美空ひばりの日劇初登場からウェスタン・カーニバル辺りまで、ほとんどの舞台とは対峙している。のち帝劇文芸部のスタッフとしてパリ・ムーランルージュにつながるのだが、あの時代の劇場にみちたエネルギーは半端なかった。今日のごとくコマーシャルまみれの作り物ではない、人々の生活感情が娯楽の喜びに重なり、舞台と客席がひとつになった興奮に充ちていた。
 劇場のそとには焼跡の防空壕が残り、にせものの傷痍軍人が片足で献金をせがみ、数寄屋橋のしたは泥まみれの臭い淀みだった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ