日ハム  札幌市への復讐

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 日ハム・ファイターズは、2004年札幌ドームに本拠地を移してから、札幌市に随分いじめられた。
 札幌ドームを運営する第三セクターは、札幌市の役人の天下り先であり、札幌メディアのボスたちもまきこんだ頑固な官僚的組織だということに、日ハムが気が付いた時は、すでに手遅れだった。
 毎年約9億円の球場リース料、約11億円にのぼるグツズ販売収入で、毎年約20億円が札幌市に吸収された。困った球団はたびたび値下げを申請し、グッズ販売のせめて50%はと嘆願したが、ドーム側はまったく聞く耳をもたず、逆に球場リース料の値上げを宣告されたといわれている。たかをくくった市長と職員の傲慢な態度が原因だった。
 困った球団は自前の球場を持つしかないと、決断した。
 札幌の南隣の北広島市に約600億円をかけた球場建設を決定した。北広島市は十二分なバックアップ体制を整えた。
 選手たちも喜んだ。なにしろ札幌ドームはコンクリートの上に直接人工芝を引いただけのニワカズクリ、いつ怪我をしてもおかしくない困った球場だったからだ。この劣悪な条件の球場から、大谷翔平、ダルビッシュ有、新庄剛志が生まれ、2006年から5度のリーグ優勝を果たした。
 球団はいつまでも札幌の客寄せパンダだけをやっているわけにはいかない。健全な経営体質に改善しなければ球団の明日がない。
 かくて北海道ボールパーク構想が、札幌の隣町にできることになった。 
 これはアメリカ・メジャーリーグ等にみられる、ファン以外のファミリー層も楽しめる一大アミューズメント・パークである。
 その第一号客寄せパンダが、真赤な衣裳のビッグボス新庄剛志なのだ。なにがなんでも北海道の野球ファンを北広島に連れていくという、日ハムの札幌市への復讐戦なのだ。ビッグボスでもコスプレでも、とにかくメディアがくいつくことをぶち上げて欲しいという日ハムの悲願でもある。 
 その後にはダルビッシュも大谷翔平も控えている。長年の日ハムの選手対策が生きている。札幌市は見事に日ハムの根性を読み違えたのだ。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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