日ハムに見捨てられた札幌ドーム

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  札幌ドームに危機が訪れている。
  日本ハムがどこを本拠地にするか迷っていた04年当時、札幌市は官民あげて札幌ドームへの誘致に奔走した。札幌ドームは市が所有し、市の出資会社が運営管理する第三セクターが運用しているが、この運営会社が小役人根性丸出しで、日ハム側とたびたびもめてきた。
  一日の使用料約1700万円、球団は年間70試合の使用料に加え、駐車場使用料、警備費、清掃費など、支払額は25億円をこえていた。その上ドーム内の飲食売上げグッズ販売も三セクの収益となり、球団にはいらない。日ハムはシャウエッセンも自由に売れない状況だったと伝えられる。これでは日ハム側が嫌気がさしても無理からぬ話、数年前からドーム側と日ハム側はたびたびもめてきた。
  日ハム側は堪忍袋の緒がきれて、ならばと球団、球場一体型のボールパーク構想を立ち上げた。
 企画、運営、からファン・サービス、関連グッズ販売、球場内ショッピング・センターの編成までの一体化をめざした。手を挙げたのは札幌の南の北広島市、札幌の欲長けた例をみていたので、市をあげて新ニチハム・ドームの誘致完成を目指すという。
 誘致合戦に敗れた札幌ドームはいい面の皮、日本ハムという最大の店子を失い、かっての新庄剛志やダルビッシュ有、大谷翔平のマザー球場の栄誉も失い、最大の集客力も亡くしてしまったのだ。
 いくらサッカーが盛んとはいえ札幌コンサドーレの試合だけでは、札幌ドームの運営維持はできず、21世紀に入ってできた最新のドーム球場でありながら「解体」の危機が迫っている。
 この札幌の例だけではなく、ちいさな軽井沢の街にも三セク運営のホールや駅施設があるが、運営側のモノ知らずで町民から愛されず、結局シニタイに堕ちていく運命のハコモノがある。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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