日テレ、遂に地上波見限る

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 正力・巨人とともにテレビ界をリードしてきた日本テレビが、遂にというべきか、明日の生残りをかけて地上波を見限った。
 数々の名番組を制作してきた日本テレビだったが、情報過剰時代のなかの地上波の明日に縁切り状を突き付けた。
 ネット・メディアの登場とともに、存在の影がうすまり、そこにコロナとスマホの荒波にもまれ、従来の視聴者層を中心にした番組づくりでは生き抜けないと判断したのだろう。
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 すべての民放局に先駆けて「編成局」を廃止した。
 編成局は制作すべてをコントロールする立場で、番組全体を俯瞰してコンテンツづくりを進めてきたテレビ局の心臓部ともいうべき存在だったが、この発想から抜け出さなければジリヒンになる。
 地上波に流すためのコンテンツ作りではなく、あらゆるメディアに対応できる制作体制をにらんで「コンテンツ戦略本部」を新設、配信事業を統括するチーフ・デジタル・オフィサーを置いた。
 地上波、衛星放送、インターネット、映画等……すべてのメディアを想定して自由に面白いコンテンツ作りをしていこうと、いうのだ。
 バラエティ「はじめてのおつかい」はすでにネットフリックスで全世界に配信されているし、「金田一少年の事件簿」はディズニー・プラスでアジア・太平洋地区に配信されている。
 鑑定団や、充電させてくれませんか、といった国内向けの安いコンテンツはテレビ東京にまかせ、本格的なワールド・コンテンツを作っていきたいというのが、日本テレビの思惑のようだ。
 コンテンツを作らせたら世界一、そんな日テレの明日を期待している。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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