この国に住む人間、籍を置く人間は、日の丸・君が代は当然のこと、当たり前と考えていた。いやならば、日本を出て行けばいい。星条旗の国にでも、引っ越したらいい。そうしたら先ず一番最初に星条旗に向かって、国家に奉仕することを誓わされ、国歌を歌うことを強制される。世界の秩序とはそうしたものだ。
「日の丸・君が代」の強制は、戦前の国家主義的教育の復活につながる。教育は国民すべての問題であり、充分な議論のないまま強制されるのは納得できない」処分不当を訴えていた大阪門真市の中学教諭川口精吾さんの言い分だが、馬鹿も休み休みいってほしい。日の丸・国歌の問題には議論の余地はない。起立せよ。ちゃんと歌え。という以外の結論はない。
ましてや起立・不起立は個人判断にまかせよ、異議ある教員は15分の有給休暇を取って休め、等という大阪教育合同労組の方針など聴いてあきれるほかない。こうした教師に指導された子供たちはろくなものにならない。オリンピックの表彰台で、国歌も歌えず国旗を注視せず、ニヤニヤと彼女の方に目線を投げて立っているプータローまがいのアスリートになってしまうのだ。
大阪維新の会が主張する義務教育の留年制度、学力テストの結果発表、能力主義教育の徹底、ダメ教師の首、いずれも大賛成だ。3.0の円周率では役にたたないし、英文の筆記体も書けない大学生、漢字を習ってないから自分の名前をカナで書く中学生、すべていらない。教育官僚の子女はすべからく官公立の学校へ入学させろ、というのもうなずける。
唯一反対なのは、校長の公募制、かって長野県では田中康夫知事の時代、公募した校長にろくな人物がいなかった。不況下のハローワークにされてはたまらない。
もはやアジヤの下位にきてしまったこの国の教育だが、いま再建しなければ、悔いを末代に残す。
日の丸・君が代・あたりまえ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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