基本的にお土産は買わない、主義だが、ときに買ってしまうこともある。お土産にとられる荷物のスペースやら、お土産を探す時間がなく、帰りしなにお帳場のかたわらにあったなんとか名物に手を出しても、あまりいいものに巡り会わない。昔は職場の同僚やら、仕事の仲間たちに言い訳のごとくに買ったりもしたが、型通りの土産はどこまでいっても型通りでしかない。
海外旅行が盛んになった頃、アンカレッジのナポレオンが珍重された時代があった。あの頃の飛行機は航続距離が短く、ニューヨークにいくにも、ヨーロッパに行くにも、いったんアラスカのアンカレッジで給油するのが、当たり前だった。アンカレッジには、デューティ・フリーの免税店が店を連ね、不思議な日本人が客引きをしていた。「シャチョサン、ナポレオンあるよ! カノジョ コウスイ喜ブヨ!」 酒税はとても高く、海外旅行してきた家にいくと、必ずといっていいほどナポレオンのブックが飾ってあった。香水もミツコ、コティ、夜間飛行の時代、のちにシャネルのNO.5がモンローの伝説と共に加わった。
修学旅行のお土産というのもあった。定番は八つ橋だったが、たまにオマセな女子が、大文字の前でポーズをとる舞妓のお人形などをかってきた。お兄ちゃんには五重塔と舞妓のアプリケに京都と書かれたペナントだった。
友達の家に遊びに行くと、札幌の時計台から日光の陽明門、大隈講堂と早稲田大学、原爆記念堂と廣島 とペナントが脈絡なくかざられていた。ペナントはどこの観光地にも必ずあったが、いまは全く見なくなってしまった。浅間山に白樺林のペナントも定番だったが、いまでは行方不明。とって代わったのはサッカーやら、ゆるキャラの小物類だ。
テレビが始まった頃、九州の土産菓子に「ひよこ」があった。ひよこはTVコマーシャルを猛烈にうって、ある日突然、東京のお土産に変わった。その東京のお土産も、いまでは「東京バナナ」に変わっている。
旅の土産の移り変わり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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