戦後70年近く軽井沢とは縁がつづいている。
7月に旧軽井沢の素朴な別荘にきて、駅近くの新聞やさんにこの夏もお世話になりますから、よろしくお願いします、と顔をだすとニッコリと翌日から新聞がとどいた。
中軽井沢に転居して、地区独占の岩井新聞店に配達以来をしたら、けんもほろろに断られた。あそこは別荘地だから配達しません。町役場から5分も離れていないところなのに何故配達してくれないんですか。……新聞本社に掛け合っても駄目、町役場に掛け合っても駄目。軽井沢町の広報も議会たよりもみな新聞の折り込みで配布されるので、新聞の配達がなければ一切の地元情報が遮断される。
住民としてこんな不便なことはないので、町役場にしつこくアピールしたところ、3年目から郵便物で広報、保健所たより、議会たよりがとどくようになった。まだネットのない頃だったので、「軽井沢はマスコミに向かって体裁のいいことをいう情報過疎地だ」と多いに憤慨していた。
軽井沢駅に隣接して町営のパーキングができた。通勤で駅までクルマできて、信越線でかよう町民にはパーキングの割引券をだしてくれる、これは有難いと役場へでかけた。こんども窓口であっさりことわられた。週4日しか東京へいかないのなら、働いていると認められないというのだ。1週間のうち6日通っていないと働いていると認められない。ファックスやパソコンは労働していると認められないと、役場の職員はかたくななのだ。 軽井沢という町は救いがたい町だとおもった。
別荘住民の大賀さんの寄付で、大賀ホールができた。町民の音楽振興のためと思い有り難いことと認識した。ところが町民のホール使用についてなんの特典もない。外から来た金儲けのコンサートと町民の技能発表会が同じ扱い、近隣のホールはたいてい町民使用のさいの割引制度があるが、軽井沢にはない。
この度かの岩井新聞店が閉店することになった。20台近くの配達用の車の処分先はとか、いろいろきになるが、新聞の斜陽は覆うべくもない。新聞販売店が従軍慰安婦のことを書いたわけでもないのに、フェイクニュースの影響をうけ、販売部数はあきらかにへっている。結婚する若者カップルはいるが、例外なく新聞はとらない、勿論固定電話もいらない。すべてはスマホで間に合うのだ。
百科事典も計算機も雑誌も新聞もカメラも銀行も電話も、すべてスマホですむのだから、スマホは人間より優位にたって、やがてスマホが旅にでたり、病院にいったりするようになるかもしれない。その時人間は何をしていたらいいのだろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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