天皇の引退、譲位のことが最終段階に入った。
天皇の一番の悩みは、皇太子とその妻雅子妃殿下のことだと、報道にもれている。宮中祭祀にまったく興味を示さない雅子妃に対しての不安が、明日の天皇家の存在に影を落としていると悩まれている。
国民の生活に寄り添い、いつも謙虚に祈ることが天皇家の役割と認識されて、それこそが天皇と美智子妃にとっての役割だった。
ところが皇太子は雅子妃殿下の不安を包み込み、親子3人でのスキー旅行以外は、お一人様公務があたりまえになっている。
札幌で開かれた冬季アジア大会開会式も「おひとりさま」公務だった。大会プログラムには、雅子妃殿下の名前があったにもかかわらず皇太子は「おひとりさま」で出掛けられた。
新しい時代の公務の在り方として、皇太子自身がそれでいいと考えているとしたら、とても不幸なことだ。
憲法学者は「憲法には世襲天皇の役割しか規定してありません。公的行為でも皇后のご同行は必須ではないのです」と説明しているが、国民は当然のごとくに天皇皇后お二人の出席を望んでいる。
当日の朝まで出席予定だったのが、直前になって「本日皇后のお出ましはありません」で国民は納得するだろうか。
皇室の国民軽視として、少しずつ心が離れ、挙句の果ては「皇室いらない」に、つながりかねない。
雅子妃の身勝手が皇室の悲劇をまねき、2000年の歴史が壊されてしまうかも、と考えるのだ。。
コミュニケーションの薄れた現代社会にあって、皇室のみならず一般女性達のあいだにも「おひとりさま思考」がふえている。 ひとりカフェ、ひとり映画、ひとりラーメン、ひとりカラオケ、ひとり居酒屋、辺りまではともかく「ひとり海外」「ひとりキャンプ」から遂に「ひとり高級フレンチ」「ひとり料亭」になると、4割以上の男性も引いているという結果がある。
「ひとり天皇」も「ひとり熟女」も、時代を生き抜けるという保証はどこにもない。
新天皇の「おひとりさま公務」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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