巨大な宇宙船が競輪の帽子に化けた。
新国立競技場のデザインの話である。まあなんと立派な競技場でありんすといった印象から、金がないとか、神宮の森の歴史的景観に合わないとか、後出しジャンケンの落選組建築家の鳴奏により、デザインはどんどん後退し、結局自転車用ハットの如き情けない設計に落ち着きつつある。
冷静にこのニュースを読んでみると、お上からの天下りJSC日本スポーツ・カウンシルと安藤忠雄一派VS在野建築家の闘いであることが透けて見えてくる。
そもそもデザインの良し悪しについて、民意など問っていたらなにもできない。民意が反対しても時代感覚を先取りしなければ、建築史に残るような優れた建築は残らない。美意識について、民衆はつねに保守的だから。パリのエッフェル塔にしろ、ルーブルのガラスのピラミットにしろ、時の民衆の声は反対の大合唱だった。
イラク出身の建築家ザハ・ハディドのデザインについても、トラディショナルな要素が見当たらず、すべてが未来志向のため、日本建築家協会が先頭にたって反対運動を繰り広げている。そこに付け込んだのが舛添東京都知事、JSCの天下り官僚にいっぱい食わせようと、全面見直しの狼煙を上げた。
三つ巴の新国立競技場の闘い、さて勝者はいずこに。
新国立競技場三つ巴の争い
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す