新しい歌舞伎座の開場式

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 新しい劇場が出来る…このわくわく感は嬉しい。
 何年ぶりに再建された歌舞伎座開場式にお招きを受け、十二分に幸せを味わってきた。
 囃し方の一番太鼓に始まり、役者衆による寿式三番叟、坂田藤十郎丈のご挨拶、尾上菊五郎丈の手締めまで粛々と開場式は進んだ。この日の客はみなご招待を受けてきているので、舞台上にずらりと並んだ役者衆と共に、歌舞伎座の誕生を喜んだ。
 セリなどは増設され、バックヤードはかなりの改変を加えたようだが、プロセニアムを始め客席まわりは昔の歌舞伎座と印象が変わらない。座席の色から劇場内部の壁面までほとんど同じなのだ。劇場側から再建前と同じにしてほしいという要望だったときいているが、観客は新しさへの期待を抱いて劇場に足を運ぶ。
 設計を担当した隈研吾はなにをしたのだろうか、という疑問が浮かんだ。こんなに印象の変わらない劇場は珍しい。
 正面入口からロビーの辺りにも工夫がない。金と赤、二つの色彩は、世界中どこの劇場でも祝祭性の象徴として使われるが、大理石の劇場でさえ再建の折には、金と赤の使い方に工夫を加え新しさを演出している。
 第四期の吉田五十八設計の欠点であったロビーまわりの窮屈さ、客席天井の中途半端なデザイン、さらにプロセニアムの散漫さなど、建築設計の才能が発揮できるところが多々あったにもかかわらず、仕事をしなかったのは設計家の責任ではないだろうか。
 劇場の祝祭性はこれからの都市デザインにとって重要な課題とおもうが、後ろの商業ビルとの整合性など、いろいろと考えさせられる歌舞伎座の開場式であった。
 


コメント

1件のフィードバック

  1. hoshino/Kのアバター
    hoshino/K

    歌舞伎のお好きな母娘とお見受けしましたが、間違ってますか。お名前の印象からです。
     よろしければ、どうぞタメ口でも質問でも歓迎です。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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