新しい伊東屋の発言

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新しい伊東屋の発言
 銀座の伊東屋が変わった。銀座2丁目中央通りにある伊東屋が何年ぶりに新築開店したのだが、すっかり変ってしまった。
 伊東屋にはずいぶん世話になった。伊東屋に行けば、何かあるといつも信じて通ってきた。
 伊東屋はタダノ文具やではなかった。鉛筆、糊、筆箱のむかしから、万年筆、レポート用紙、の生意気盛りまでいつも駆け込むのは伊東屋だった。 伊東屋には少年の想像を超える文具があった。
 多種多様な筆記具やファイルを前に、何時かはこのファイルを使いこなせるようになりたいと思っていた。
 師走の声が近ずくと、海外の友に送るカード探しは伊東屋の一階から始まった。ある時は相撲だったり、歌舞伎絵だったり、浮世絵だったり、海の向こうでクリスマス・トゥリーから引かれた紐に掛けられたカードを想像しながら、ニューヨークの彼にはこれ、ベガスの彼女にはこれ、パリの友人にはこれ、伊東屋のカードはパソコン・メールよりはるかに雄弁だった。
 モンブランの太い万年筆も、当時は伊東屋にしかなかった。遠藤周作も安倍公房も使っていた。中二階の輸入万年筆売場には、軽々しく足を踏み入れることは出来なかった。
 そこでモンブランの万年筆を選ぶひとは、みな文豪にみえた。
 原稿用紙も伊東屋で名入箋を特注したとき、初めて一人前になったような気がした。伊東屋の文具のカオスは、人生の大海のようにも見えた。
 その伊東屋がすっかり変ってしまった。
 量から質へ転換し、その質も伊東屋スタイルにこだわってカッコよく、今風のお店になった。お店からセレクト・ショップに変わったのだ。 いかにもカッコいいカタログ世代の考えた文具ブティックに変わった。
 うちのスタイルで文具と付き合って下さい。あなたの個性は認めません。
 そう云っているようにもみえるデジタルな新しい伊東屋だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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