斎藤由貴・無欲の勝利

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斎藤由貴・無欲の勝利
 50歳を迎えた斎藤由貴が、いま再びブームになっている。
 無欲の勝利といおうか、映画、テレビ、舞台、アイドル、女優、歌手、詩作、イラスト、ナレーター、これだけ雑多な仕事をしてきたにもかかわらず、業界のアカがついていない。1984年第一回の東宝シンデレラ・オーディションの出身だが、不思議なことに東宝箱入り娘のイメージをいまだに保持している。
 個人的には、1989年彼女が迷惑そうな表情で唄った「夢の中へ」でハートを揺さぶられた。
井上陽水のコンテンポラリーな音を、全く異なるハウス・ミュージック風なアレンジで都会の歌に変換した。
 媚びない彼女から、探し物は何ですか?と問いかけられると、ほつといてくれ、といいたくなるが、彼女のB型、乙女座の故か否応なしにオトナのイマジネーションに引っ張り込まれた。
 夢の中へ、夢の中へ、行ってみたくなってしまうのだ。
 尾崎豊との恋の破局を迎え、珍しく彼女が落ち込んでいた時、斎藤由貴の母は、自分で選んだことだから「正々堂々と不幸になりなさい。」と彼女に言い放ったというが、この母にして今日の斉藤由貴があったのだと感心させられる。
 彼女の芝居をみていると、引きずり込まれるのは彼女のリアクションだ。多くの女優達が類型的なリアクションを演じるなかで、斉藤由貴のリアクションはきわめて個性的なのだ。会話の間合いも微妙なところで個性化する。泥水に溺れず、よくここまできたと感心するばかりだ。
 無欲とリアクションの勝利、それが50歳の斉藤由貴である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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