文豪谷崎潤一郎の恋文

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 文豪谷崎潤一郎が没して50年になる。この50年を期に、谷崎の人生いや文学にとって重要な役割を演じた松子、そしてその妹の重子との間に交わされた書簡が公表された。
 当時41歳の谷崎には、千代という妻がいたが上手く行かず、千代の妹のせいと関係をもっていた。せいは「痴人の愛」のモデルになった奔放な女性だ。
 親友佐藤春夫に千代を譲った谷崎・佐藤・千代 三者連名の離婚・結婚挨拶状は当時の文壇事情を語るものとして有名になっている。
 そんななか谷崎の松子にたいする想いが赤裸々に語られているのが今回の公開書簡だ。松子は船場の大問屋根津商店の跡取り根津清太郎夫人だったが、谷崎にとっては高値の花だった。
 谷崎は「蘆刈」の主人公と同じく、お遊さま(松子)という人妻に焦れながら、その妹(21歳年下の古川丁未子じつは文芸春秋記者)と結婚するが、当前のごとくうまくいかなかった。
「春琴抄」そのままに松子にあてた手紙に「御寮人様の貴き御姿を胸に浮かべて考え込んでをります。…中略…御寮人様にお願いがあるのでございますが、今日より召使いにしていただきますしるしに改めて奉公人らしい名前をつけて頂きたいのでございます。「潤一」と申す文字は奉公人らしうござりませぬ故「順市」か「順吉」ではいかがでしょうか。… 御寮人様ほど源氏をお読み遊ばすのに似つかわしい方がいらっしゃいましょうか、源氏は御寮人様がお読み遊ばすために出来ているような本でございます。」
 大谷崎のマゾともいえる松子への傾斜ぶりが伺える。松子がいて「盲目物語」「蘆刈」「春琴抄」など谷崎文学の傑作が生まれた。
 御寮人様松子との結婚、そしてその妹重子との重なる愛情のなかで「細雪」が誕生した。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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