和田誠の表紙絵が地味な週刊文春がいつの間にかもっとも注目される週刊誌になった。
週刊現代や週刊ポストのごとく、ヌード・グラビアもなく、表紙にコンテンツを並べ煽ることもなく、静かに描かれた和田ワールドの向こうに文春砲が隠されている。
何故そんなに文春だけがスクープできるのか? と問われれば、先ず心構えとしてスクープを狙う。スクープの尻尾を掴んだら、少数の記者を深く潜らせて証拠固めをやる。煮詰まったところで、精鋭部隊を一気に投入して仕上げる。新谷学編集長の弁である。
編集部60人のうち、特集班が40人もいる。他の週刊誌では、経営合理化のためにフリーランスの記者を多用するが文春は100パーセント自社スタッフでまかなう。
新入りの記者は「地取り(聞き込み)」「物読み(資料分析)」「張り込み」などのフィールド体験を通して、取材報道のノウハウを学び、いつかはスクープを、の志で育っていく。ニュース・ソースを守りながら、捜査当局とのカケヒキ、国会への対応を求められる場合もある。伝聞情報、匿名証言で戦えるか、いざとなったら取材対象者は証言台にたってくれるか、までつめて考え記事にする。情報を追っかけながら、周辺の人間関係、環境にある不都合な状況まで把握しなければ、リアリティのあるスクープは書けない。
最後はニュースを上手く拡散して本誌の売上増につなげる。テレビのワイドショーに取り上げられ、視聴者はそれで満足、では文春砲にならない。露出した情報のかけらと、手にとって読まなければ判らない記事本体との配分に、テクニックは隠されている。
政治でも経済でも芸能でも、表面だけのゴシップ記事では読者は満足しない。
そこに未知なる情報が少しでもなければならない。それこそが文春砲のアイデンティティなのだ。
文春砲の作り方
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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