文化侵略の真実

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 文化侵略の第一は、相手国の表層的な文化状況を否定するところから始まる。
 軍歌は歌唱禁止となり、新聞は検閲をうけ、忠臣蔵は上演禁止となり、すべてのラジオ番組の台本はチェックを受けた。天皇制を礼賛するもの、軍人を崇めるものも駄目、忠義そのものが否定された。そのかわりに入ってきたものが、映画のラブシーンであり、水着の絵葉書だった。そしてテレビとともに、アメリカ製のソープ・オペラ(連続テレビ・ドラマ)が入ってきた。「ルーシー・ショー」「パパは何でも知っている」「ララミー牧場」‥等、そこに描かれたアメリカ人の生活に憧れ、日本人はいつしか骨抜きになった。安くタダ同然で番組は日本にはいってきた。対日文化対策費の名のもとに金が使われた。
 このアメリカの対日戦略に学んだのは韓国だ。日本への文化輸出に大量の公費をつかい、バックアップしている。若者向けには東方神起、KARA、少女時代と次々に日本デビユーを果たし、韓流ドラマはNHKからフジ・テレビまで支配して、オバサン達のハートに迫っている。ついこの間までの嫌韓、反韓はすっかり何処かへ飛んで行ってしまった。功労者として韓国から勲章をもらったのは、電通会長というからこの国はお目出度い。
 不況真っ只中のテレビ局は、安いからという理由で韓国ドラマを買い付け、垂れ流しをする。無意識のうちに韓国文化が浸透する。自国の歴史知らずが、とくとくとお隣の国の歴史を語るようになるのも間もなくだろう。異国のものだから排斥しようという若い役者の扇動は感心しないが、次々に入ってくる韓流ドラマが、実はトロイの木馬だったらという視点が欠け落ちている。
 教会をつくり、学校をつくり、ハリウッド映画を流し込んだアメリカの文化戦略のあとに、なにがあったのかを冷静に検証する必要がある。文化は地ならし役の尖兵として使われているのが、世界の常識だということに気がつくべきだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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