「チイ散歩」の地井武男さんが亡くなって、多くのファンは寂しい思いにかられている。
いまでもカドを曲がると、地井さんがよれたハンチングをかぶり、両手を横に振りながら歩いているような錯覚に見舞われる。八日市場の八百屋に生まれた地井さんの背中には、普通の人々に対する思いやりと共感が溢れていた。俳優座養成所に学び、どぶ川学級、北の国から、とたどった地井さんには市井の人々の哀歓が血肉になっていた。街角の誰ともあたりまえに普通に話が出来た。
あとを継いだのは「若大将のゆうゆう散歩」加山雄三には、普通に暮らした経験がない。上原謙と小桜葉子というスターの家に生まれ、いつもお手伝いさんが二人はいたという恵まれ方だった。
映画の世界でもいつも主役の若大将、ノーテンキに遊びまわってそれでも幸せという東宝自慢の娯楽映画だった。茅ヶ崎の浜辺に造ったパシフィック・ホテルでは、女優のたまごやら身体自慢のモデルたちが、いつも加山を中心にプーサイドで嬌声を上げていた。僅か五年で倒産したのもうなずける。
湘南の太陽のもと、ギターをかかえ、ヨットのデッキで「ボクハ、シアワセダナァ…君といつまでも」と歌った唄は350万枚という売上げを記録したが、所詮金持ち憧れのロマン歌謡だった。
いまテレビというメディアのなかで、加山が散歩しても彼の目線にうつるものに、普通の人々が共感できる暮らしはない。上から目線の言葉でそれらしくインタビューしても、大御所タレント心ここにあらずが、御見通しになってしまう。彼にはヨットとビデオ・ゲームがよく似合う。
とりあえず番組を作らなければならないプロデューサーの勘違いはともかく、賢妻といわれている妻、松本めぐみは何をしているのだろう。
散歩のチイ と かつらの若大将
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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