小宮山洋子、畑恵、丸川珠代…次々と女子アナの代議士なりたい病患者が発生している。
多くの選挙民は、美しく頭のいい女子アナだから、といったイメージで投票するのだが、テレビの現場での評価はいささか異なる。
そもそもメディアの製造工場であるテレビ局のなかで、もっとも制作の現場から遠いのがアナウンサー達だ。編成は番組の並べ方や新番組について考える。演出は如何に作るか、どう演出していくかについて絶えず苦労する。今ではそのあらかたの機能は、下請け会社に移り、編成も制作も管理作業が中心になつてしまったが、アナウンス室だけは存在している。
アナウンサーは一応局の顔として番組予告をしたり、ニュースを読んだり、スピーカーの役割を演じているが、考える必要はほとんどない。脳みそはヒマしている。渡された原稿を正確に読めることが、まず第一に要求される。
それでも最近は情報番組のショウ化に伴って、個性化とよぶナンセンスな個性も期待されたりするが、基本的にはまず考えることを要求されない。トークマシンであることが、すべてに優先する。
つまり必然的にルツクスだけといったら怒られるが、かなりその要素が強い。そのことは少し冷静に考えれば判ることだが、読めない東大出身がアナウンサーになつたりする。つまり知能指数は高いが、人間指数・常識指数が著しく低い。そうした女子アナが、突然乗せられて立候補するという寸法だ。
テレビ局でもプロデューサーやディレクターをしている人間はまず立候補しようなどというオバカはいない。政治の世界の馬鹿馬鹿しさがみえているからだが、画面に映っていさえすれば、よしとするお馬鹿な選挙民にも大きな責任がある。
写る阿呆に、見る阿呆、どうせ阿呆なら総選挙…もうそろそろ卒業しなければ、この国にシアワセは訪れない。
政治家になりたい女子アナ
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す