江戸市中引き回しのうえ、火あぶりの刑に処す…これが放火犯に対する徳川幕府の施政だった。そこには未成年も精神鑑定もない。罪を犯したものは、その罪の報いを受けなければならない。
取り締まる役所も、火付け盗賊改めと呼ばれ、殺しよりも火付けは重罪とされた。ゆえに天和の大火で避難所で巡り会った寺小姓に恋焦がれ、再び火事を起こせば必ず逢えると信じて、放火に走った八百屋お七も、16才の若い命が火刑台の露と消えた。
過日、上田浦里の小学校が燃えた。一夜にして灰燼と化した。
ひめゆりの塔、私は貝になりたい、零の焦点、スパイゾルゲ など多くの映画がロケ現場としてお世話になった。お城とともに浦里小学校は、上田フィルム・コミッションの貴重なコンテンツでもあった。
昨日まで実際に使われていた校舎の廊下は、毎朝児童の手でピカピカに雑巾掛けされて光っていた。黒光りした廊下には、子供たちの喜びや悲しみ、親たちの思い出がいっぱいにつまっていた。
鎖で囲われ立入り厳禁と書かれた、都会の文化財より何十倍も貴重な生きた文化財だった。
状況証拠から放火ではないか、いわれてはいるものの、早くもテレビでは、こうした犯罪をなくすにはどうしたらいいか。カウンセラーを充実してとか、引きこもりのオタクがとかくこうした犯罪に走りやすいので、もっと専門家をふやしてとか、寝呆けたことをいっている。
この所ひんぱんに起こっているイジメについても、学校単位で専門家チームを作り、などと無意味なキャストごつこをしているが、基本は家族のモラル、個人の人間力が問われる。過剰に保護することをやめ信賞必罰の社会を確立することがまず急務ではないだろうか。
放火の罪には火焙りの刑
コメント
1件のフィードバック
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速やかに作り直す活動が、必要ですね!
国土交通大臣のお膝元なのに、私の見た範囲では、コメントがないです。
上田市民が動けば、近隣も立ち上がる気力充分なのに!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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