捨てうさぎの悲劇。

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 沖合いの流木のうえで寒さを耐えて生きていた犬…見渡す限り荒涼たる瓦礫の間を泥だらけになって何かを探して彷徨う犬…波打ちぎわを当てもなく右往左往している牛の群れ…3.11大震災は人間だけでなく、動物たちにも過酷な運命を強いた。
 卯年のいま、津波をかぶらずともとんだ災難にあっているのが、うさぎ達。おとなしくマンションでも飼えるというので、去年の暮れから新年にかけて、うさぎの人気に火がついた。耳の垂れたホーランドロップや、小型のネザーランドワーフなどがペツト・うさぎの人気種だそうだ。犬や猫に比べると、ずつと安いということも、うさぎのペット化に拍車をかけた。
 小学校などの飼育体験で、まずうさぎからという少女時代への郷愁も手伝っているが、うさぎは決して飼いやすい動物ではありませんと、さいとうラビットクリニックの先生も言っている。甘やかすとコードを齧ったり家具をかじつて、人間の言うことを聞かなくなる、つぶらな赤眼は目やにだらけ、神経質なので抱かれることを拒否する、「こんな筈じゃなかったわ」といって、捨てうさぎに走る。宅急便で一方的に送られてきたり、新しい家具と色が合わないわといつて返品されたり、うさぎ専門店もびつくりの近頃だそうだ。
 捨てられたうさぎが運よく生き延びると繁殖力が強く、数年前河川敷で200匹に増え、そこら中に穴をほって堤防決壊の危機に瀕したことがあり、河川管理事務所は全員逮捕に二ヶ月かかつたという椿事もあった。全国うさぎの飼育数は90万とも、400万とも言われているが、犬のごとく登録義務がないので、気楽に飼って、気楽に捨てられる運命にある。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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