指導者たちの無責任時代

by

in

 鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、三代に及ぶ総理大臣のお粗末ぶりにすっかり嫌気がさし、細川内閣以来のアンチ自民を掲げた政治家たちの無責任ぶりには言葉もない。
 ようやく改心した自民党内閣に期待をもったが、早くも麻生副総理のナチス憲法発言ととんでもない地雷を踏んでしまった。やはり漫画しか読んでこなかった世襲政治家はそれだけのこと、投票した選挙民が悪いのだから、なにも言えない。本人は僕は止めません、悪いことを言ったと思っていませんからと、無責任極まりない。
 東電福島原発の汚染水流失問題、世界にたいして人類にたいしての犯罪だが、社長以下幹部一同しれっとカメラのまえで、ご心配をお掛けしまして…型どおりに謝っただけで、たいして緊急事態と思っていないらしい。その上、流失防止の防護壁を越えて汚染水は今も海に流れ出ていると想定されます。無責任のプレミアム付きとでも言ったらいいのか。
 東大から外務省へいき駐米大使まで務めた日本プロ野球コミッショナーの加藤良三、自分のサインのある飛び過ぎる統一球を知らなかった、とシラを切り、私の価値は後年の歴史が判断するといった厚顔ぶりに、無責任は官僚の必須条件との想いを強くした。
 助成金ネコババ、セクハラで告発された全柔連・上村春樹会長、日本の国技といわれて来た柔道がここまで堕落していたとは、もはや柔道はロシアやフランスのお家芸になってしまって当たり前。
 これ程までに広がったこの国の非道徳、無責任の潮流を止めるにはどうしたらいいのか、いでよ賢人だが、民族の質的劣化といってばかり言っていられない非常事態ではなかろうか。ヨーロッパ先進国なら革命が起こって当たり前だろう。頭にハゲを作って奮闘する役者と、権力に遠い共産党にまかせて高みの見物とはいかなくなるかもしれない。 
 
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ