打上げ花火、仕掛け花火、洋火、和火、花火にもいろいろあるが、世界中どこを探しても日本にしかない花火がある。「手筒花火」という。
発祥は豊橋の吉田神社とも、豊川の進雄神社ともいわれるが定かではない。愛知の東三河から、静岡遠州の西部にかけてあちこちの祭礼で奉納されている。
手筒花火は直径2.30センチ、長さ1メートルほどの竹の筒に火薬を仕込み、人が抱えて着火する花火である。締め込みひとつの裸の男が、花火を抱えて奉納する。危険といえばこれほど危険な花火はない。身を清めた裸の男が神と交感し、1メートルの竹筒の火薬が燃え尽きるまで、火の粉を浴びながら最後まで花火を抱き続ける。
私は10年程前、あの御嶽山で手筒花火に遭遇した。それは御嶽教の大祭の夜、あの多くの犠牲者を出した頂上近くの広場で豪壮な手筒花火の何本かが奉納された。夜の闇が迫った頃、それぞれの登山道を無言で松明を手に信者さんたちが登ってきた。それは涙をこらえることが出来ないほど、美しい行列だった。
仮神殿での祈祷が終わった頃、花火に点火された。3000メートルの山頂に何本かの火柱がたった。その花火を抱いた男たちのなんと崇高な美しさにみちた光景だったことか。
最後に花火の底が破裂して山々に衝撃音が響いた。手筒花火は無事に奉納された。ものいわぬ星空とともに神々の存在がはっきりと見えたような気がした。
手筒花火は花火業者は作らない。花火を抱く男たちがそれぞれに工夫して火薬をつめる。自分のつくった花火を裸で抱いて神々に供える、だから彼らは少しも熱くないのだ。
手筒花火・神々との交歓
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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