「小宮悦子」もそろそろ老朽化してきたし、いよいよつぎは「河野明子」と期待していたテレビ朝日の幹部は、30歳になってこれからが使い時と考えていた矢先、見事に「河野明子」にコケにされた。 一見お嬢さん風で、知的に見える彼女がよもや不義理なことはしないだろうと、考えていた局の男性幹部は見事に自分たちの不明を恥じることとなった。女子アナを志し何千の競争を突破して入社してくる彼女らにとってテレビ局は、男探しと芸能界への足がかりでしかない。企業へのロイヤリティ…忠誠心など爪の垢ほどももちあわしていない。ろくなシャベリもできないうちから、上司のプロデューサーと不倫関係に落ちたが、社内では彼女に素材としての可能性を見出していたので、不問に付していた。頭の悪い古館よりは彼女をメインに据えたらと考えた幹部さえいた。ところが彼と破綻した途端、わずか4ヶ月で野球選手と出来婚。退社。「河野明子」という女子アナもただの色キチガイだったということだ。辛抱強く10年間も育ててきたテレビ局は馬鹿をみたし、今時のそそとしたお嬢さんなどは夢のまた夢でしかないという教訓を学んだ。相手の野球選手がつぶれれば、どこかの局で高いギャラをとって復活といったスジガキが読めてしまう。代理店や芸能プロは、つぎの標的が見つかったと牙を磨いている。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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