手帳を替えたい

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 師走になるといそいそと銀座に出掛ける。
 伊東屋の本店にいって、さて来年の手帳は? リフィルは、と思案する。
 もらい物の手帳で済ませていたこともあった。日頃親しい芸能プロやら、映画会社、あるいはテレビ局の手帳などで間に合わせていたこともあった。局の手帳をめくると突然、普段目にすることもない五つの社是などが出てきて、うろたえる。「公正」「情熱」「奉仕」などと、社長室の壁には似合うが、現場には無関係なスローガンが印刷されていて、手帳から心がひいていく。
 1980年代の中頃、ファイロファックスがイギリスから攻めてきた。システム手帳と称しA5ほどのサイズに多種多用な皮表紙があった。黒皮、茶皮、赤皮、鰐皮、オーストリッチとバブリーそのままに表が用意されていた。美形のスタイリストは意味もなく豪華な表紙のファイロファックスを開き、足を組んで打合せに臨んでいた。 そんなスタイリストの真紅のマニキュアに眼がひかれ、会議の中身が一瞬飛んだこともあった。
 予定表、住所録、罫線、方眼、無地、路線図と用意された手帳は、珍しくもあり、便利だったが、大きすぎて荷物になった。今ではケイタイ、スマホ、タブレットに取って代わられつつあるが、相手の顔をみず、ひたすらタブレット向かって入力している打合せでは、どんなにいい女でも蹴飛ばしたくなる。
 相手の顔から眼をそらすな。じっと見つめることで理解できる真実がある。空気を読むことの大切さが、タブレットとともに消えていく。
 いま使っているのはアシュフォードのスリムなシステム手帳だが、やっぱりかさ張るので、来年からは三菱総研企画のものに変えてみよう。長い間バインダーで簡単に引っ越していたデーターを、ひとつひとつ書き写すのも師走の楽しみかもしれない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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