戯れせんとや生まれけん

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 お祭りの写真は50年前から撮影してきた。
 戦後全国のお祭りに光をあてた文化財研究所の三隅治雄さん、先輩の作家吉永淳一さん、お二人のお蔭で九州から東北の果てまで、お祭りの撮影紀行は年中行事だった。
 1992年開国まもない秘境ブータンをカメラに収め、帰国後突然に、ヌードが撮りたくなった。
 事務所が同じビルだった立木義浩さんや、藤井秀樹さんから折に触れて見せられたヌード写真に触発されたのかもしれないが、所詮土俵が違うし、そんなテクニックも持ち合わせていない。
 女性が好きでしょ、絶対大丈夫、貴方ならキレイに撮れるわ…背中を押してくれたのは、当時付きあっていた某女優、思い切ってヌード・モデルのオーディションを始めた。女性の身体はそれぞれに異なり、美しさも百人百様、そんな初歩的なことも初めて認識した。結局モデルはラテン系のアメリカ娘と決め、六本木スタジオにこもって撮影し、原宿のギャラリー・ランバンで発表した。
 題して星野和彦ヌード写真展「戯れせんとや」。
 この正月、なんとはなしに大河ドラマ「平清盛」をみていた。白河帝に棄てられた清盛の母、白拍子舞子が幼な児を抱いて唄っている。
 「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
         遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動かるれ」
 後白河法皇によって編纂された梁塵秘抄(りょうじん・ひしょう)にある今様だ。
 どうやら大河ドラマでは、この唄をテーマに、白河法皇の愛妾祇園女御にも、法皇の曾孫雅仁親王にも、さまざまの登場人物に歌わせていく魂胆のようだ。
 ある意味、退廃の今にフィットした悲しさを含んだ唄とも云える。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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